TNR のときに思うこと
2013-10-04


TNR をしましょう と合意し、それを続けているときに
「あーーたねっっ」 と言いたくなることがよくある。

それは、オスが入ったときに多い。
「オスは、去勢しなくていいでしょ」 というのだ。
または、はなから、「オスは捕まえたくない」 ともいう。
そして酷いのは、捕獲器に入ったオスを見て
「出してやれば・・・」、「出してやりなさいよ」

この、やっと捕まえたオスねこたちが、どれほどの数の
子ねこのパパねこか、考えてもいない。
そして、その生まれた子ねこたちは、私見で断じれば
育たたなかったり、または、不幸にも、あるいは、故意によって
命を落としたりして、土に帰る子ねこのほうが多いのだ。

「オスを手術しておくのは重要なんです」 と言い切る。
すると
「重要なのは、メスねこの手術でしょ」 とのたまう。

こういうとき、コンセンサスのなさに嫌気がさす。
TNR をしましょう と合意したとき、
「メスねこを優先的に捕獲し、まずは子ねこの繁殖を抑える」
ことは、その活動のあたりまえの前提的価値観になっているはず。

そして、その共通理解になっているはずの前提的価値観を踏まえて
「オスが捕獲器にはいったら、TNR する」
ということを話し合っているのだ。

なのに、そういう発言をしてくる御仁は
「自分の言っていることは正しい」 というオーラをだしまくる。

それは、正しいにきまっている。それを当たり前のこととして
TNR 活動に取り込み、継続しているのだから。

妊娠している母ねこを堕胎手術することには異論を唱えず
なぜ、去勢手術に反対してくるのか?
これまた、独断ではあるけれど、こういう人は、男性に多い。



町内からよくある一言
「手術するのはいいけれど、ねこを戻さないで」

私の TNR のポリシーは、「餌やりの継続と不断の確認」である。
そこに餌やりさんがいて、リターンの後も餌を与えてくれることを
必須条件として、私費で TNR する。

だから、どうぶつ基金のさくらねこチケットは、ほんとうに助かる。
ねこを戻せないようなところでは、この貴重なチケットは使わない。

・ねこが自分たちの町からいなくなりさえすればいい というのは
 自分の周囲から、ねこのトラブルがなくなればそれでいい、
 他のことは知ったこっちゃない という、エゴ丸出しの主張です。
・あなたの町内から消えたねこは、隣の町内で、また同様な
 人間関係のトラブルを生むことになります。

「自分とこの町内さえ、ねこがいなくなれば・・・ なんてこと言って
 恥ずかしくないのですか」 と、こういう発言をしてくる、
町内会長や保健委員に言うことにしている。

昭和保健所で、
「手術したねこを他の場所に戻すことは、動物愛護法で禁じられた
遺棄にあたります」 という説明を聞いた。
これには反対したい。聞いていて、不愉快になる。

愛護法で遺棄を禁じられているから、元の場所に帰すしかない のではない。
そのねこが、その場所で暮らしていたから、帰すのだ。

手術され、(本にゃんこは自覚できていないだろうに)
しかも、いきなりまったく知らない場所に、(捕獲器から)
放り出され、「ここはどこ?」 状態になる。
これは、ねこにとって、ものすごく怖いことだろうと思う。
手術され、麻酔から醒め、痛みも襲ってきているはず・・・。

もう、子孫を残すことのできない、ニューターになり
でも、暮らしてきた場所で、餌をもらい、ちゃんと死ぬまで生きていく。
そのために、元の生活場所に帰すのである。

たとえ、動物愛護法がなかろうが、元の生活場所に帰す。
それがしごく当たり前と思っているから。

ねこが増えて、フンをされて、いろいろな苦情がきて、
日常の中でいろいろ困っている人たちに

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[TNR]

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